日ブラジル外交関係樹立130年の歴史(1950年代~1980年代)
令和7年1月15日

1950年代~1980年代:日伯経済協力や人的交流の推進による関係の発展
1952年のサンフランシスコ講話条約で両国間の国交が再開された。移民も復活し、1950~1970年代にかけて約5万3千人の日本人移住者がブラジルに渡った。また1960~1970年代は両国の経済協力が発展した時代であり、日本の製造業が次々とブラジルに進出し、鉱山、製鉄、紙パルプ等の重要な分野で日本の投資や技術協力による数々の大規模な国家プロジェクトが推進された。
1952年
サンフランシス講話和条約発効により、日伯間の国交が復活。戦後初の駐ブラジル大使として、民間から君塚慎が着任。伯日通商協定調印。オランダ船により戦後最初の呼び寄せ移民がブラジルに到着。
1953年
54名の第一回アマゾン(パラー州)移住者を乗せたさんとす丸が到着。
1954年
岡崎勝男外務大臣が訪伯し、サンパウロ市創立400年祭に参加。
1955年
コチア青年移民第1陣109人がサントスに到着。以後1967年までに約2,300人の青年がブラジルへ移住。
1956年
日伯航空運送協定調印(1962年発効)。
1958年
三笠宮同妃両殿下が日本移民50年祭に出席。
日伯合弁会社であるウジミナス製鉄所(ミナスジェライス州)が落成。
1959年
岸信介総理大臣がブラジルを訪問し、クビチェック大統領との間で貿易投資等の日伯経済関係の発展を目指すとする共同宣言を発出。ブラジル石川島造船所(イシブラス)が操業開始。
1960年
戦後初のブラジル市民使節団が訪日。リオデジャネイロにて「移住および植民に関する日本国とブラジル合衆国との協定」調印(1963年発効)。

「移住および植民に関する日本国とブラジル合衆国との間の協定」外交史料館
1961年
日伯文化協定が調印(1964年発効)。クビチェック大統領が訪日。
1962年
吉田茂元総理大臣が訪伯。ウジミナス製鉄所操業開始。
1965年
戦後初となる日本の南米経済使節団が訪伯。 海上自衛隊練習艦隊が43年ぶりにブラジルに寄港。
1967年
コスタ・エ・シルバ次期大統領が訪日し、東京で日伯租税条約に調印。日本企業がブラジルへの投資を開始。皇太子同妃両殿下(現上皇上皇后両陛下)が訪伯。
1969年
ファビオ・ヤスダ氏が日系人初の国務大臣に就任(商工大臣)。
1970年
日伯技術協力基本協定が調印(1971年発効)。
1972年
ブラジル銀行日本第1号支店が東京に開設。
1973年
最後の南米移民船「にっぽん丸」が移住者285名を乗せて横浜港を出港。以降、航空機による移住が主流となった。三笠宮殿下が訪伯。
1974年
ブラジル全国工業連盟(CNI)と経団連の間で、リオデジャネイロにて第1回「日伯経済合同委員会」開催。田中角栄総理大臣が訪伯し、伯中西部のセラードを視察。
1976年
ガイゼル大統領が訪日。セラード農業開発協力事業が国家プロジェクトとして認定され、日本のセラード開発援助が開始。


セラード開発 左「開発前」 右「開発後」JICA提供
1977年
国際協力事業団(現国際協力機構(JICA))による技術協力プロジェクトが開始。国家プロジェクトのセニブラ紙パルプ事業(ミナスジェライス州)として、日伯合弁会社セニブラ社が操業開始。
1978年(日本人移住70周年)
皇太子同妃両殿下(現上皇上皇后両陛下)が訪伯し、日本人移住70年記念式典にご出席。日本航空が日伯定期便の運航を開始。
1980年
岸信介元総理大臣が訪伯。
1982年
鈴木善幸総理大臣が訪伯。浩宮殿下(現天皇陛下)が訪伯。
1984年
バレ・ド・リオ・ドセ社(現ヴァーレ)が東京に事務所を開設。フィゲイレード大統領が訪日。日伯科学技術協力協定調印(1985年発効)。
1985年
福田赳夫元総理大臣が訪伯。安倍晋太郎外務大臣が訪伯。
1986年
常陸宮同妃両殿下が訪伯。国家プロジェクトであるアマゾンアルミニウム・プロジェクト(パラー州)として、日伯合弁会社のアルブラス社が日本向けの最初の船積みとなるアルミ地金を出荷。
1988年
礼宮殿下(現秋篠宮皇嗣殿下)が訪伯。
1989年
サルネイ大統領が訪日、昭和天皇の大喪の礼に出席。
19世紀~1940年代 / 1950年代~1990年代 / 1990年代~現在