日ブラジル交流史 (1951-2000)

平成27年10月14日
 

   



1952年
日伯間の国交が再開。戦後初の駐ブラジル大使として、民間から君塚慎が着任。
12月、54名の第一回アマゾン移住者を乗せたサントス丸が神戸港を出発。


1954年
 岡崎外務大臣が訪伯、サンパウロ創立400年祭に参加。


1955年
9月、コチア青年移民第1陣109人がサントスに到着。以後1967年までに約2,300人の青年がブラジルへ移住。


1956年
3月、横浜に海外移住センター開設。


1958年
6月、三笠宮御夫妻が日本移民50年祭に出席。
7月、バリグ航空が日本発着便を開設。
8月、日伯合弁事業のウジミナス製鉄所が落成。


1959年
7月、岸総理大臣がブラジルを訪問。
12月、ブラジル石川島造船所(イシブラス)が操業開始。


1960年
 戦後初のブラジル市民使節団が訪日。
11月、リオデジャネイロにて新日伯移住協定が調印。


1961年
1月、日伯文化協定が調印される。
10月、クビチェック元大統領が訪日。


1962年
日伯航空協定が調印される。
5月、吉田茂元総理大臣が訪伯。


1965年
 戦後初となる日本の南米経済使節団が訪伯。
 海上自衛隊練習艦隊が43年ぶりにブラジルに寄港。


1967年
1月、コスタ・エ・シルバ次期大統領が訪日。東京で日伯租税条約に調印。日本企業がブラジルへの投資を開始。
5月、皇太子御夫妻が訪伯。


1969年
ファビオ・ヤスダ氏が日系人初の国務大臣に就任(商工大臣)。


1972年
ブラジル銀行日本第1号支店が東京に開設。


1973年
2月、最後の南米移民船「にっぽん丸」が移住者285名を乗せて横浜港を出港。同年7月より航空機による移住が主流となった。
11月、三笠宮宣仁殿下が訪伯。


1974年
9月、田中角栄総理大臣が訪伯。セラードを視察。


1976年
9月、ガイゼル大統領が訪日、日伯セラード農業開発協力事業が国家プロジェクトとして認定。日本のセラード開発援助が開始。


1977年
 国際協力事業団(現国際協力機構(JICA))による技術協力プロジェクトが開始。


1978年
6月、皇太子御夫妻が訪伯。日本人移住70年記念式典にご出席。
日本航空が日伯定期便の運航を開始。


1980年
11月、岸信介元総理大臣が訪伯。


1981年
7月、田中龍夫通産大臣が訪伯。


1982年
6月、鈴木善幸総理大臣が訪伯。
10月、浩宮殿下が訪伯。


1984年
バレ・ド・リオ・ドセ社(現ヴァーレ)が東京に事務所を開設。
5月、フィゲイレド大統領が訪日。


1985年
 福田赳夫元総理大臣が訪伯。タンクレド・ネベス大統領の就任式出席のための訪伯であったが、同大統領は就職式前夜の4月21日に死去。


1986年
9月、常陸宮御夫妻がリオデジャネイロ訪問。
日本向けの最初の船積みとなるアルミ地金16,500トンをアルブラスが出荷。


1989年
2月、サルネイ大統領が訪日、昭和天皇の大喪の礼に出席。


1990年
3月、竹下登元総理大臣が訪伯、コロル大統領の就任式に出席。
6月、日本の入管法(「出入国管理及び難民認定法」)が改正、日系二世、三世及びその家族に対し、3年間滞在可能な定住者査証等の発給が認められる。
11月、コロル大統領夫妻が訪日、天皇陛下の即位の礼に出席。


1992年
6月、竹下登、海部俊樹両元総理大臣が訪伯、リオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国際連合会議」(国連地球サミット)に出席。


1995年
日ブラジル外交関係樹立100周年。
マシエル副大統領夫妻が訪日。
11月、紀宮さまが訪伯。


1996年
3月、カルドーゾ大統領が訪日。
8月、橋本総理大臣が訪伯。
12月、在日ブラジル人の数が20万人を突破。


1997年
6月、天皇皇后両陛下が訪伯(中南米では戦後初)。


1998年
11月、ランプレイア外務大臣が訪日。


1999年
9月、第8回日本・ブラジル経済合同委員会が東京で開催され、「21世紀に向けた同盟関係」の構策と、日伯両国の通商投資関係と両国企業の協力関係の強化を狙いとするアクションプランを作成。


2000年
4月、タヴァレス企画予算大臣が訪日。
9月、ネット鉱山動力大臣が訪日。