日ブラジル交流史 (1800-1900)

平成27年10月14日
 

   


1803年
 12月21日、1793年に海上漂流中にロシア軍艦に救助された日本人4名が、ロシアから日本へ送還の途中、サンタカタリーナ州フロリアノポリスに上陸。ブラジルの土を踏んだ最初の日本人となる。


1867年
1月、榎本武揚が乗船する軍艦開陽丸のリオデジャネイロ寄港。


1874年
10月、フランス天体観測隊の一員として、ブラジル人のアルメイダ博士が訪日。


1880年
11月、ブラジル軍艦ヴィタール・デ・オリヴェイラ号日本寄港。


1888年
5月、ブラジルにおける奴隷制度の廃止。ブラジルでの外国人移民受け入れの契機となる。


1889年
7月、ブラジル軍艦アルミランテ・バローゾ号の横浜港入港。乗組員および同乗の皇孫オーギュスト殿下が明治天皇に謁見。その帰路、大武和三郎(日本初のポルトガル語辞書の編者)が乗船。


1892年
10月5日、ブラジルへの日本及び中国からの移民導入が法的に認められる。


1893年
3月、榎本武揚らが「殖民協会」を設立。


1894年
7月、根本正(殖民協会幹事)が訪伯。


1895年
11月5日、曾禰荒助駐仏日本公使とアルメイダ駐仏ブラジル公使により、フランス・パリにて「日伯修好通商航海条約」(「日本国及伯剌西爾合衆国間修好通商航海条約」)が調印され、正式に国交が結ばれる。


1897年
 批准書交換が行われ、リオデジャネイロ州ペトロポリスに日本公使館が設置。
8月、珍田捨巳が初代公使として着任。
9月、エンリケ・バルボーザ公使が駐日ブラジル公使館に着任。